『A Season on the Brink』

'85〜'86シーズン、インディアナ大学のコーチ、ボブ・ナイトは苦悩の中にあった。
45才の若さで“ビック・テン”カンファレンスの名門校を率い、既に二度NCAAチャンピオンシップに輝いていた。「アメリカで最も有能な若手コーチ」という世評を確立し、84年のロサンゼルス五輪ではアメリカ代表を率いて金メダルを獲得した。
そのナイトであっても試合前の通路では「大丈夫だよな」とアシスタントコーチに訊ね、試合後のビデオチェック中に「いったい、次の試合は勝てるのだろうか」と呟く。
1シーズンの密着取材の中から浮かび上がるバスケットボールコーチの実像とは…

瀬戸際に立たされて―ボブ・ナイトとインディアナ大フージャーズの1年

瀬戸際に立たされて―ボブ・ナイトとインディアナ大フージャーズの1年

ロサンゼルスの栄光から1年。“最高のコーチ”は“ナショナル・ヒーロー”となって余裕ある“名伯楽”への道を歩みだしたであろうか。
ナイトはそうではなかった。そうなるには彼はエキセントリック過ぎ、敵も多すぎた。そして何より、敗北を嫌い、選手たちの現状に満足することなど考えられなかったからである。
練習中の体育館で、試合中のアリーナで、そして生放送中のラジオブースでも、ナイトは激情に駆られ歯に衣着せぬ物言いを続けていた。彼はバスケットボールに対して不誠実な行動が許せなかった。自チームの勝利のために全力を尽くさないことが許せなかった。彼はそれを見つければ誰であろうと面罵した。自分の教え子たちである選手もマネージャーもアシスタントコーチも、相手チームのコーチも、審判も、協会の“お偉いさん”も、バスケットボールを汚す行いには必ず食って掛かっていった。
それだけにナイトの評価には“有能”の後に必ず“だが危険人物でもある”という言葉がついて回った。それは選手たちにとっても同様で、教え子の一人であるアイザイア・トーマスは「いろんな時があってね、銃を持ってたら殺してしまっただろうなと思う時もあったし、彼を抱きしめてただひと言“おれは、あんたのことを気に入っているんだ”と言いたくなる時もあったな」と語っている。さらに、すでにプロへ羽ばたいたアイザイアと違い、現実の恐怖に直面せざるを得ない現役選手にとっては「あの人は人間じゃない」と感じられるとこが圧倒的に多かった。ナイトは爆発し、爆発し、爆発し、たまに褒められたと思ったら、またすぐに爆発してるようなコーチであった。
そのナイトが、就任以来初めてNCAAトーナメントを逃すという最悪のシーズンの翌年、自分と、チームと、大学との誇りを取り戻すべく始まった'85〜'86シーズンの全てを追い、包み隠さずに描いた長編ノンフィクションである。

バスケットボールチームの一年を追った、この重厚な大著には、コーチ、スタッフ、選手、マネージャーたちの、苦悩と努力の戦いが描かれている。
多くの選手とコーチ(現在のアメリカ代表の“コーチK”マイク・シャシェフスキーもその一人)を育て上げたボビー・ナイトはその強烈な物言いと行動とで選手をドライブして(駆り立てて)いく。そのコーチングの手法を知ることは、バスケットボールプレーヤーとして練習とゲームとコーチとにどう対面していくかについてのアイディアのストックを与えてくれることだろう。
(特に明治大学の選手たちにおいては…… 誰かに、ちょっと似てるな、と。